百瀬陣屋 |
別名 | |
所在地 | 松本市寿豊丘1169 |
遺構等 | |
現状 | 宅地 |
築城年 | |
築城者 | |
歴代城主 | |
形式 | 陣屋 |
訪城日 | 2004/5/28 |
ももせじんや |
国道19号「村井下町」信号を東へ入り、田川を渡り「寿小北」信号を左折し、500m北上した路地を右折すると左手に陣屋があります。道路の余白に駐車可能です。 |
この陣屋は、代官をしていた近藤氏の末裔が現在も住んでみえます。古い薬医門の横に説明板があり、土塁も残っていました。個人宅なので、外から遠慮気味に見て帰りました。 |
江戸時代、この地は諏訪高島藩領の東五千石に属していたが、明暦3年(1657)領主の弟に内田・赤木の千石余の地を分知し、これが旗本諏訪氏百瀬陣屋のはじめとなった。当初は、内田に代官所が置かれていたが、寛文11年(1671)、赤木山の入会の山論が起こったため所領変更をし、内田・赤木の代わりに、瀬東村・竹渕村・白川村、と百瀬村の一部を知行所とし、ここに代官所が置かれた。当初の代官は三井氏が、享保元年(1716)より、荻原氏と近藤氏とが交代で代官をするようになり、その後近藤氏が御用人格兼代官となり、以後明治まで続いた。 |