城跡の地図
登城口の地図
山家城
別名 中入城
所在地 松本市入山辺中入
遺構等 石垣、土塁、堀切、竪堀、空堀、
虎口、土橋、説明板
現状 山林
築城年 鎌倉時代末期
築城者
歴代城主 山家
形式 山城
訪城日 2004/5/29
【道案内】


【感想・メモ】
やまべじょう
【歴史】
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「三反田」地区で県道67号から北東へ入って120m程進んだ「徳運寺」の前を過ぎ、道なりに右カーブして100m程進んだ1本目の路地を左折して山側へ行くと、突き当たりに水道施設(貯水槽)が有ります。この施設前に車1〜2台は置けます。ここから登るとすぐに平坦地があり、もう一段上がると水神の石碑があります。ここを用水路沿いに左へ100mほど行くと右手に登城道があります。
最初はちゃんと山道を歩いていたのに、何故か道をそれて迷子になり、諦めて直登した。でも、曲輪へ出た時に縄張図と照合して何とか居場所を確認。1つ目の堀切を越えた所で道を発見し、そこからは普通に登山道を行くことに。このお城は段郭と堀切の連続。曲輪と曲輪の間を土橋が結んでいるのが明瞭に分かり楽しいお城です。主郭の外側には石垣もあり、主郭内部は土塁が巡っていて、小笠原氏を祀る祠があります。主郭から北東部の曲輪の秋葉神社へと土橋を越え、竪堀を堪能して到着!更に東の曲輪へと堀切を越えていくと、その奥(東)にも、北側にも曲輪が続いてありました。帰りはちゃんと山道を歩いて下山したら、かなり迂回しながらも急な段があったりしたので、行きは道が分からなくなり直登して、かえって楽で早く登れたと思いました。つまり、道を間違えて正解だったみたい。。。このお城に限っては。下ってみて分かったんだけど、行きは水神さんの所を逆に歩いてしまったのねぇ。
鎌倉時代末期に築城されたといわれ、室町時代は山家氏が領していたが、小笠原氏が信濃守護として入部した際、配下となった。小笠原氏本城の林城の支城となってから大改修がなされ、山辺谷最深部、松本平東側の上田、佐久方面の出入口の要害としての役割を果たした。信玄の侵攻により林城と共に落城した。