春日山城
別名 鉢ケ峰城
所在地 上越市大豆字春日山
遺構等 曲輪、空堀、竪堀、土塁、土橋、虎口、碑、説明板
現状 公園
築城年 室町初期
築城者 長尾高景
歴代城主 長尾、上杉、堀
形式 山城(比169m)
訪城日 2003/7/25
まずは春日山神社へと階段を登り、東側の曲輪を順番に登りながら見て本丸・天守台へと行き、そこから下りて二の丸・三の丸・米蔵などを見て、最後に謙信銅像を見るというコースにしました。各所に説明板や石碑などがあるので、私でも分かりやすいです。本丸や天守台からの眺めも良い上に、土塁・空堀・虎口など、超格好いい所ばかりで、どこをどう歩いて見てもステキ過ぎます。もう感動しっ放しで、大満足!ただ、藪で遺構がよく分からない所もあったのが残念。高台で横を向いてる謙信公の像と一緒に写真を撮るのに苦労した〜
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城跡の地図
【道案内】
【歴史】
【感想・メモ】


かすがやまじょう
国道8号「国府」信号を南へと県道185号に入り、1km程南下して川の手前を右折し県道180号に入ります。そこから1.5km程道なりに西進すると城跡です。春日山神社の下に駐車場が完備され、春日山城跡周辺案内図という大きな看板があります。また、「春日山城跡 史跡めぐり」というパンフも置いてあり、これがとっても重宝します。
室町時代初期、越後守護・上杉氏の詰の城として、守護代・長尾氏が築城した。永正年間(1504-21)長尾為景が城を大改修し、続く景虎(謙信)、景勝も改修を加えた。景虎は天文17年(1548)、兄・晴景に代わり長尾家を継ぎ、以降越後統一の拠点として春日山城に在城した。この間、小田原北条氏に追放された関東管領・上杉憲政から名跡を譲られ上杉氏と称した。慶長3年(1598)上杉景勝は越後から会津移封となり、代わって堀秀治が城主となった。その子・忠俊の時に山城で不便な春日山城から行政に便のいい平城の福島城に移ったため、慶長12年(1607)廃城となった。
二の丸
本丸
鳥瞰図(現地説明板より)