北条城
別名
所在地 柏崎市北条
遺構等 曲輪、土塁、空堀、畝状竪堀、碑、説明板
現状 山林
築城年 室町時代
築城者 北条氏
歴代城主 北条
形式 山城(比110m)
登城口から主郭まで約13分
訪城日 2010/9 感想
大江広元の末裔が越後毛利氏と安芸毛利氏に分れ、室町〜戦国まで越後毛利の嫡流12代が拠った城で、謙信の時代は北条丹後守高広が居城した。天文23年(1554)、北条高広は武田信玄の調略に応じ、上杉謙信に背いて挙兵したが、謙信の軍に城を包囲され、翌弘治元年(1555)降伏した。高広は許され奉行職を務めた。永禄6年(1563)、謙信の関東出陣の際、上州厩橋城の城代を命ぜられたが、永禄10年、北条氏康に通じた。越相和睦後、高広は謙信に再度帰参した。天正6年(1578)、謙信の死後勃発した御館の乱で、高広の子・景広が上杉三郎景虎に与したが、上杉景勝方に攻められ天正9年落城した。

『図説中世の越後』大家健著 参照
JR北条駅から北西へ約1km。北条駅から200m程西進した突き当たりを右折し、300m程北上した左手に「普広寺」が登城口で、お寺に参拝者用駐車場があり、その手前右手に登り口の標柱があります。先程の北条駅から西進した突き当りを左折した右手にある専称寺からも登れ、普広寺から登り専称寺に下山すると良いでしょう。

大空堀

【歴史】

主郭

【道案内】
城跡の地図
登城口の地図
【感想・メモ】
登り始めて10分弱で林道に出て、そこから3〜4分で主郭です。主郭は南北に細長くて眺望も良く、北隅には城址碑があり、その背後の空堀の規模に圧倒されますが藪が酷いです。南へ下ると大空堀の先に二の丸があり、明瞭な虎口を抜けると三の丸で、馬つなぎ場と表示のある付近には藪ですが畝状竪堀が見られます。更に木落とし場、空堀、物見櫓、毛利氏の墓等を見ながら下山すると専称寺に出ますが、山門はお城の大手門です。全体に遺構は素晴らしいのですが、藪で見難いのが残念です。
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縄張図(現地説明板より)

きたじょうじょう