池田城 |
登城道はあるものの、池の際を通って山奥へと入っていくので、熊などの動物が出てきそうでちょっと怖いです。登城口から10分程登ると堀切に出て、そこから堀や郭を見ながら5分程で主郭に着きます。主郭には城址碑と説明板があり、櫓台もあります。その背後(南)にはしっかりした堀切が2本ありました。城跡の北西側は千畳敷と呼ばれているようですが、湧水があるので更に危険な雰囲気がして行くのをやめました。 |
別名 | |
所在地 | 立山町池田 |
遺構等 | 曲輪、土塁、堀切、土橋、竪堀、井戸、碑、説明板 |
現状 | 山林 |
築城年 | 戦国期 |
築城者 | 寺島職定 |
歴代城主 | 寺島、金森 |
形式 | 山城(比125m) 登城口から主郭まで約15分 |
訪城日 | 2008/4 |
いけだじょう |
上瀬戸集落から県道168号で1.5km程南下します。池田橋の手前で右折し(道路に案内有)、少し行くと左手に登城口がありますが、登城口を通り過ぎた右手に駐車可能なスペースがあります。 |
永禄12年(1569)には、神保氏の家臣・寺島職定が城主だった。寺島氏は文明年間(1469-87)から立山信仰と関係の深い芦峅・本宮集落を支配していた。芦峅は信濃や飛騨へ往来する軍事拠点であり、芦峅寺は寺院としても大きな勢力を有していた。天正5年(1577)、職定は上杉氏に属したが、佐々成政入国後は成政に仕え、成政が肥後へ移った後は、前田氏に仕えた。天正11年(1583)、弓庄城攻めを行なった際、この城が戦場となった。 |