城跡の地図
城生城
別名 天狗平城、恵智谷城
所在地 富山市八尾町城生
遺構等 曲輪、空堀、土橋、土塁、石塁、竪堀、碑、説明板
現状 山林
築城年 南北朝期
築城者 斎藤氏
歴代城主 斎藤、佐々与佐衛門、青山佐渡、篠島織部
形式 山城(比40m)
訪城日 2008/4
【歴史】
南北朝期に斎藤氏が築城した。斎藤氏は貞治6年(1367)から楡原保を領した豪族で 約200年余にわたり婦負郡南部に大きな勢力を誇った。しかし、天正11年(1583)越後上杉氏と結んだ佐々成政に攻撃され落城した。城主・斎藤信和は飛騨へ落ちのび 後に徳川氏の旗本となった。その後、佐々与左衛門や前田氏支配時は青山佐渡守・篠島織部らが城主となったが、慶長年間(17世紀初め)廃城となった。  

物見台の石碑

本丸ルートから入り城址碑を目指すと本丸に着き、南側には石積みがあります。その南側の一段高い所に城址碑があり、本丸と書いてあるけれど物見台でしょう。その東側に竪堀が2本落ちており、西〜南〜東にかけて立派な堀があります。この南は岩肌が露出していたり、石積みが少し見られます。城跡の南端に堀切があり、大手口ルートは堀切を下りていきます。本丸の北には堀があり、土橋を通って北へ進むと櫓台があります。ここから北は未整備で藪が凄かったです。郭の中央付近に石塁が南北に続いているのに藪と土で見過ごしそうなぐらい。更に北へ進むと堀底道のような所になり、この東側は見張り台なんだけど、藪だらけで入れず。北端に出ると、目の前に神通川が見えます。櫓台から北は藪がひどくて見にくかったですが、南北にやたら長くて屋敷跡の雰囲気でした。全体に遺構がしっかりしているのですが、ぬかるみやすい場所なので、歩く時に注意してください。

櫓台

遠景

石塁

本丸の南郭の西側横堀

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【感想・メモ】
【道案内】

じょうのうじょう
神通川を「大沢野大橋」で西へ渡り300m程進んだ突き当たりを右折し、県道25号に入ります。左手にゴルフ場(八尾カントリークラブ)が見え始めた頃、右側を注意深く見ていたら、「城生城跡」という看板があります。ここが登城口です(登城口は2ヵ所あり、南側は城跡の南端から入る大手口ルート、北側は物見台西側から入る本丸ルート)。