若栗城 |
別名 | 若栗館、館の城 |
所在地 | 黒部市若栗 |
遺構等 | 曲輪、土塁、碑、説明板 |
現状 | 天満宮、公園 |
築城年 | 戦国期 |
築城者 | 不悪糺斎右京輔または総田太郎左衛門 |
歴代城主 | 不悪または総田 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2006/7/28 |
わかぐりじょう |
北陸自動車道「黒部インター」を下り、県道53号を東進します。高速をくぐって600m程東進した路地を右折し、900m程南下すると、左手に「若栗中村公民館」があります。この奥の神社(土塁の上に鳥居や社殿あり)や隣の公園が城跡です。車は付近の余白に停められます。 |
ここは周りが田んぼとなっており、この城跡だけ少し高くなっているので、遠方からでもすぐに城跡だと分かりました。お寺に城址碑と説明板があり、ぐるりと土塁がしっかり残っています。かなり立派な土塁で、土塁上を歩いて回ると気持ちいいです。公園が曲輪だったのも分かります。 |
土地の人たちが「たちのしろ」と呼ぶ若栗城の跡である。この城の構造は方形に堀と土塁をめぐらした平地方形館と呼ばれる中世城館の一般的形態を成している。土塁の高さは五メートル内外、その幅は10〜20メートル、長さは、北東端から西へ90メートル、それより直角に南に折れて約70メートルの四角の敷地で以前は東側に石段の登り口があり、内部は樹木の茂る広場と北西隅に八幡宮があって、古城を偲ぶにふさわしい景観であった。しかもここには上杉勢と戦った城主不悪凡済右京輔の息女の勇壮な奮戦ぶりの悲話が伝えられている。現在は市民の憩いの広場となっている。この他に黒部市内に伝えられている城館跡には、石田・堀切・辻倉山・城ヶ山・胸ヶ平などがあって過ぎし日の動乱の爪跡を残している。(現地説明板より) |