城跡の地図
勝沼氏館
別名
所在地 山梨県甲州市勝沼町勝沼字御所
遺構等 土塁、堀、門跡、建物跡、説明板
現状 史跡公園
築城年 永正年間(1520)頃
築城者 勝沼次郎五郎信友
歴代城主 勝沼
形式
訪城日 2002/8/13 感想
【道案内】


【感想・メモ】
かつぬましやかた
【歴史】
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中央自動車道「勝沼インター」から国道20号を750m程東進した「柏尾」信号を左折して、800m程北西へ進みます。「上町」信号で左折して200m程南下した左手が館跡です。日川を渡る「祝橋」の手前の東側となります。
勝沼市は一面のぶどう畑と、ぶどう狩りの文字がいっぱい。さすが勝沼!全国的に有名なだけはあると、意味もなく感心しました。館跡は、道路沿いから見る雰囲気でココとすぐに分かったけど、どこにも看板などない。取りあえず日川の手前に車を停め、入っていく。途中「勝沼五郎信友城跡」と墨で書かれた古木が草に埋もれながら立っていた。中に入っていったら、素晴らしく整備されてびっくり!土塁や堀、水路の跡、門の跡に石積み、建物の跡の礎石など、館の雰囲気がよく分かる。しかも、草もたいしたことが無い。嬉しくなって、くまなく見て回りました。
永正年間(1520)頃、武田信虎の弟・五郎信友がこの地に館を構え、地名の勝沼姓を称した。信友は武田家親類衆の筆頭として武田家を助けたが、天文4年(1535)北条氏綱との戦いで戦死し、嫡子信元が後を継いだ。信元も武田家重臣として働いたが、永禄3年(1560)武蔵国秩父の藤田氏と内通したとして信玄に誅殺され、勝沼氏は滅んだ。