新府城 |
別名 | |||
所在地 | 山梨県韮崎市中田町中条上野字城山 | ||
遺構等 | 土塁、曲輪、空堀、馬出、三日月堀、碑、説明板 | ||
現状 | 城址公園 | ||
築城年 | 天正9(1581) | ||
築城者 | 武田勝頼 | ||
歴代城主 | 武田勝頼 | ||
形式 | 平山城 | ||
訪城日 | 2009/3 | 感想 | ★ |
竪堀
御名方神社の堀
武田勝頼公霊社
二の丸
鳥瞰図(現地説明板より) |
天正3年(1575)、長篠・設楽ヶ原合戦で織田信長・徳川家康連合軍に大敗した武田勝頼は、一門衆の穴山信君(梅雪)の進言で要害な地である七里岩の断崖上に新城を築くことを決め、天正9年、真田昌幸に命じて新府城を築いた。普請を開始して9ヵ月後、まだ城は完成していなかったが勝頼は入城した。その3ヵ月後、織田信長の甲斐侵攻が開始された。更に、穴山梅雪・木曾義昌が寝返り、勝頼の弟・仁科盛信が守る高遠城も落城したため、勝頼は新府城に火をかけ、小山田信茂の岩殿城を目指したが、途中、信茂の離反を知り、勝頼は天目山で嫡男信勝共々自刃して果て、新羅三郎義光以来28代続いた名門、甲斐武田氏は滅亡した。 |
しんぷじょう |
JR中央本線「新府駅」から西へ約750m。JR「穴山駅」から県道17号で2km程南下すると右手に「新府公園」があり、ここが城跡です。公園の少し手前左手(東)に無料駐車場が完備されています。 |
三日月堀