城跡の地図
【歴史】
躑躅ヶ崎館

境内を一通り見た後、今度は外周を歩いてみようとしたら、御屋形様の散歩道と書かれ整備されていました。堀や井戸、土塁が残り、満足した私は、神社で売られていた武田二十四将像の絵が欲しくなり、他に甲斐国武者鑑と躑躅崎館古図の3点セットで300円と手頃な金額だったので購入して更に満足しました。
【感想・メモ】
別名 武田氏館
所在地 山梨県甲府市古府中町
遺構等 土塁、天守台、土橋、空堀、虎口、碑、説明板
現状 武田神社
築城年 永正16(1519)
築城者 武田信虎
歴代城主 武田信虎、晴信、勝頼
形式 平城
訪城日 2002/8/11 感想
【道案内】

つつじがさきやかた
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JR中央本線「甲府駅」から県道31号で2.3km程北上した正面に「武田神社」があります。ここが館跡です。
永正16年(1519)武田信玄の父・信虎が、武田氏代々の拠点であった石和館からこの地に館を築いて移った。信虎は館の北方にある要害山城を詰の城とし、城下町の整備をし、地名を甲斐府中から甲府と改めた。以後、信玄、勝頼と3代、約60年にわたり武田氏の拠点とした。天正10年(1582)武田氏滅亡後、甲斐国の領土をめぐる争奪戦が徳川家康と北条氏直にて行われるが(天正壬午の乱)、和睦により甲斐は徳川領となり、躑躅ヶ崎館には仮御殿が造営された。しかし、天正11年に甲府城を築城開始し、天正18年、家康の関東移封に伴い甲府に羽柴秀勝が入って甲府城を完成させ移ったため、躑躅ヶ崎館は廃城となった。
井戸