上野原城 |
別名 | 内城館、古郡館 | ||
所在地 | 山梨県上野原市上野原 | ||
遺構等 | 説明板 | ||
現状 | 宅地、道路 | ||
築城年 | 平安時代 | ||
築城者 | 古郡氏 | ||
歴代城主 | 古郡、加藤 | ||
形式 | 館 | ||
訪城日 | 2009/3 | 感想 | − |
城跡は高速道路や宅地化で開発され、中央高速道路のすぐ北側にある稲荷神社に説明板があるのみです。 |
うえのはらじょう |
JR中央本線「上野原駅」から北西へ約800m。上野原市役所の東側道路を南下します。国道20号を横切った所から道が狭くなりますが、150m程南下した4本目路地を右折し、道なりに500m程南下すると左手に稲荷神社があります。この付近一帯が城跡です。 |
最初、古郡氏がこの地に館を築いた。古郡氏は武蔵七統の一統で、横山忠重が康治年間(1142-44)古郡郷の別当大夫となり、古郡姓を称した。古郡氏は上野原町全体を支配する勢力を誇っていたが、建暦3年(1213)三代保忠の時、和田義盛を助けて北条義時と戦った際、敗れて滅亡した。その後、武田氏家臣の加藤氏が北条氏の押さえとして入り、長峰砦も守った。天正10年(1582)3月、武田勝頼が天目山に逃げるのを聞き、加藤景忠と長男信景が主君救援のため一族をあげて都下西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎に差し掛かった際、北条の大軍に囲まれほとんどが戦死したといわれる。また一説には武田氏滅亡に不安となり、箱根ヶ崎に落ちた際、土地の一揆によって滅亡したともいわれる。(現地説明板より) |