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別名 |
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所在地 |
兵庫県洲本市炬口 |
遺構等 |
曲輪、土塁、堀切、横堀、竪堀、連続竪堀 |
現状 |
山林 |
築城年 |
永正2(1505) |
築城者 |
安宅秀興 |
歴代城主 |
安宅 |
形式 |
山城(比90m、標96m) |
登城時間 |
戎神社から主郭まで約15分 |
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東の堀切 |
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国道28号「塩屋」信号から北上し、陀仏川を渡って更に300m程北上した「炬口北」信号を過ぎてすぐを西側の路地に入ると左手に戎神社があります。その北側のお堂を左折し、民家を過ぎ階段を上って山へ向かうと遊歩道があります(道標有)。北西へと谷筋を登り、尾根に出たら南西へ進んだ右手方向の山が城です。遊歩道は城の南東側を通っているため、途中で右手の山へ向かってください(「←戎神社/秋葉山神社→」道標(右写真)から北の山へ向かうと分かりやすい)。尚、遊歩道は「炬口八幡神社」へ通り抜けできるようなのになっていたのでそちらから登った方が駐車場所に困らないかもしれません。 |
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この道標から北の山へ向かう |
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【感想・メモ】 |
遊歩道はしっかりしているものの城は藪で、以前(2005年)訪れた時よりも山が荒れているように感じました。曲輪が3つ東西に並び、真ん中は掘り込んだような雰囲気でちょっと変わっています。東端と西端に堀切があり、西曲輪の土塁が高く、北側には連続竪堀もあります。 |
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【歴史】 |
登城口1 |
永正2年(1505)、安宅監物秀興が築城したといわれる。その後、駿河守吉安、弟・次郎三郎秀益が城主となった。この頃の淡路国は、淡路守護職細川氏を滅ぼした三好氏が勢力を誇っていたため、安宅氏もその支配下となった。大永8年(1528)、三好元長が四国へ下向した際、次郎三郎秀益は叛旗を翻したが、蟇浦の蟇浦常利、浦壁の島田時儀らに攻められ、落城した。 |
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【参考資料】 |
『ひょうごの城紀行』神戸新聞総合出版センター |
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