城跡の地図
英賀城
別名 岩繋城
所在地 兵庫県姫路市飾磨区英賀宮町2丁目
遺構等 土塁、碑、説明板
現状 英賀神社、宅地、公園
築城年 永享年間(1429-41)
築城者 赤松祐尚
歴代城主 赤松氏
形式 平城
訪城日 2010/11 感想
【感想・メモ】
清水公園の東南400m「今中橋」近くの水路沿いに土塁が残っているようなのですが、これは分からなくて断念。次に飾磨区中浜町にある城址碑を見に行きました。山陽電鉄網干線「西飾磨駅」から西進し「中浜橋」を渡って少し行った左手にあります。ここの説明板に載っていた復原図でかつての城域などを見て楽しみました。その後、先程の英賀保小学校から西へ400m程の所にある英賀神社の土塁を堪能し、神社を一周したら「播磨灘物語」なんて石碑も見つけました。それから、北隣の英賀城跡公園にある石垣?や西側の矢倉公園で遊びました。この付近は、「阿賀城・・口之跡」なんて石碑があちこちにあったり、散策できるように案内図があったりして、史跡巡りを楽しめるように工夫してあるなぁと感心しました。
【道案内】

あがじょう
【歴史】
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JR山陽本線「英賀保駅」から南西へ約1.2km。「英賀保駅」から県道502号で1km程南下した「英賀保農協前」信号を右折し、300m程西進した3本目の路地を右折し、150m北上した3本目の路地を右折すると左手に「英賀神社」があり、付近一帯が城跡です。「英賀保駅」南700mの英賀保小学校(飾磨区英賀清水町)の東隣にある清水公園に、「歴史と文化のまち 英賀保めぐり案内図」があり、それを見て遺構や碑のある場所を巡りました。

本丸跡の碑と説明板


永享年間(1429-41)初めに赤松祐尚が築城した。祐尚死後、三木通近が在城し、以後三木氏が代々居城した。戦国時代後半、置塩城の赤松宗家の勢力が衰え、播磨は三木城の別所氏が勢力を持ち、英賀城内に英賀御坊が建立され真宗勢力が拡大した。天正5年(1577)、織田信長が羽柴秀吉に命じて播磨へ侵攻し、天正6年に別所長治をはじめ播磨諸将は織田勢に抵抗したが、天正8年に三木城が落城、この時に英賀城も落城した。 
土塁