城跡の地図
赤穂城
別名 加里屋城
所在地 赤穂市上仮屋
遺構等 再建隅櫓、石垣、濠、天守台
現状 城跡公園
築城年 寛文元(1661)
築城者 浅野長直
歴代城主 浅野、永井、森
形式 海城
訪城日 2007/3/24
【道案内】

【感想・メモ】
あこうじょう
【歴史】
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JR赤穂線「播州赤穂駅」から南へ約1km。「播州赤穂駅」の南側から県道32号をキープして1.5km程南下すると右手に公園があります。ここが城跡で、公園の北東にある「歴史博物館」北側、または公園西側に駐車場があります。
来る度に復元が進んでびっくり。まず隅櫓や大手門を見て、長屋門を見ながら大石神社へ。大石神社から北を見ると土塁や石垣が見えた。この付近は三の丸だったようだ。そこから南へ進んで二の丸外堀を過ぎると本丸がある。本丸内には立派な天守台や本丸庭園がある。本丸西側の二の丸は石垣の積み直しをしていた。本丸の北東側の土塁が見事で、見とれちゃいました。本丸南側の水手門を出ると、水堀と石垣が道路沿いに続いているのが見え、かなり楽しめるお城だ。
室町時代、赤松光広が交通の要衝であるこの地に加里屋城を築いた。慶長5年(1600)関ヶ原合戦の戦功により播磨姫路城主となった池田輝政は、重臣・垂水勝重に城を拡張させた。その後、輝政は赤穂を分藩し、五男・政綱に3万5千石を与えて封じた。寛永8年(1631)、政綱没後、嗣子が無かったため、弟・輝興が佐用利神城から入った。正保2年(1645)輝興改易後、常陸笠間から浅野長直が入封し、慶安元年(1648)新城築城の許可を得て、13年の歳月をかけ赤穂城を築城した。長直・長友・長矩と続いた元禄14年(1701)長矩は、江戸城松の廊下で高家・吉良義央に刃傷に及び、即日切腹し、浅野家は断絶となった。その後、下野鳥山から永井直敬が、続いて宝永3年(1573)備中西江原から森長直が2万石で入城した。以後森氏が12代に亘って居城し、忠義の時、明治を迎えた。