端谷城
別名 衣笠城、池谷城、寺谷城
所在地 兵庫県神戸市西区櫨谷町寺谷
遺構等 曲輪、土塁、堀切、碑、説明板
現状 満福寺、山林
築城年 鎌倉時代
築城者 衣笠氏
歴代城主 衣笠氏
形式 丘城(比40m)
訪城日 2011/2 感想

本丸

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満福寺の麓に城址碑があり、満福寺境内は三の丸で、最後の城主・衣笠範景顕彰碑があります。この背後に立派な堀切があり、2010年11月に訪れた時はその先の二の丸へ進む道に蜂の巣があり、スズメバチが飛び回っていたため、それ以上進むことができず断念しました。そのため2011年2月にリベンジ。二の丸と本丸は整備され、本丸北西隅には物見台があります。この日は雪が降ったため、うっすら白くなっていました。本丸にある説明板を見ると、周辺にも幾つかお城があるようで行ってみたくなっちゃいます。西の壇を見ながら回り込んで本丸背後の堀切を見に行くと、高さがあり圧倒されます。東の方は竹薮になっていて見にくいですが、西側は堀が二手に分かれ竪堀になって落ちていました。
【感想・メモ】

二の丸南の堀切

【歴史】
鎌倉時代中期に赤松氏一族の衣笠氏が櫨谷保の保司としてこの地に入り城を築いて支配の拠点とした。以後、衣笠氏が代々居城したが、天文23年(1554)衣笠範景の時、三好長慶との戦いで別所方七か城の一つとして落城した。その後、天正6年(1578)の三木合戦では三木城の別所方として衣笠氏は活躍したが、端谷城は織田方の攻撃を受け落城し、廃城となった(三木落城の二十数日後)。

参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
『ひょうごの城紀行 下』(朽木史郎・橘川真一 編著)神戸新聞総合出版センター発行
【道案内】
城跡の地図
県道65号と県道52号が交差する「福谷東」信号から県道52号で1km程北東へ進むと左手に「満福寺」が見えてきます。このお寺とその背後にかけてが城跡です。

はしたにじょう