城跡の地図
加古川城
別名
所在地 加古川市加古川町本町313
遺構等 説明板
現状 称名寺
築城年 鎌倉時代
築城者 糟屋有数
歴代城主 糟屋
形式 平城
訪城日 2004/9/18
【道案内】


【感想・メモ】
かこがわじょう
【歴史】
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JR「加古川駅」から西へ約1km。国道2号(加古川バイパス)の加古川ランプを下り、県道18号を南下します。「大川町」信号を右折し400m程西進した2つ目の信号を左折して100m程進むと右手に「称名寺」があります。このお寺が城跡です。
称名寺の山門横に、お城の説明板があります。ここが、後の賤ケ岳七本槍の一人、糟屋武則の居城で、秀吉が加古川に集合せい!って播磨の連中を集めた所なのねぇ。。。と思いつつ見るも、今はあの説明板以外に何にも面影なし。また境内には、時代が違いますが(南北朝時代)、七騎供養塔があります。
寿永3年(1184)、平氏追討の戦功により、鎌倉時代に入って糟屋有数が源頼朝からこの地を与えたれ築城した。天正5年(1577)、羽柴秀吉が織田信長より毛利討伐の命を受け、播磨に入って加古川城で軍議を開いた。その後、12代城主・糟屋武則は秀吉に従い、賤ヶ岳合戦で七本槍の一人となり、加古川3万5千石を秀吉より与えられた。
称名寺