光明山城
別名 紫雲城、逆蔵木城、小犬丸城
所在地 兵庫県相生市陸
遺構等 曲輪、土塁、堀切、竪堀、畝状竪堀、石積み
現状 山林
築城年 建武3年(1336)
築城者 赤松則村(円心)
歴代城主 赤松氏、海老名氏、赤松氏、内海氏
形式 山城(比200m)、標261m
訪城日 2010/11 感想

北端の堀切

畝状竪堀

南北に長い曲輪の北端にある堀切


北上していた林道が左に折れて西向きになり、250m程先でまた左に折れて今度は南向きになります。この約150m先で林道はUターンするかのように鋭角に右に折れますが、この付近の林道沿いにお城はあります。このお城はかなり細長く、本丸がある主要部は東西に長く、その西方から南北に長く続いています。林道が南向きになった所では、林道から堀が見え、すぐ上には曲輪があります。この南北に長い曲輪の西方には、浅いものの畝状竪堀が8本あり、北端には堀切もあります。また、林道の東下には五輪塔もありました。本丸へは、林道が南向きになる手前から右手へ入って行きました。かなり藪ですが、本丸の北東端には土塁があり、その背後に堀切があります。周辺には石積みも少しありました。その北側には石棺と思われるものがあり、更に少し離れた北方にも堀切がありました。これが北端の堀切のようです。
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【感想・メモ】
JR「相生駅」から北へ約3.3km。国道2号「相生駅北」信号を北へ入り、120m先を左折します。(公園に光明山城跡登り口の石碑有)川沿いに900m程北上して山陽自動車道をくぐり、更に林道を3km程進むと城跡です。林道は道幅があるので城跡付近に駐車可能でUターンも出来ますが、かなりな悪路のため運転に自信が無い場合は車で行かない方が良いでしょう。

五輪塔

『海老名系譜』によると、建武3年(1336)赤松円心則村が築城し、南北朝期には海老名弾正景知が居城したが、室町時代には守野再建して家臣弥左衛門尉氏重が、応仁の乱後は宇野一族の赤松下野介政秀が居城した。政秀は光明山の東にある平井城に居た赤松村秀を助け、初代龍野城主となった後塩屋城へ引き揚げたため、光明山城には揖東・揖西両郡の郡代内海弥四郎が居城した。永禄9年(1566)龍野城主二代赤松政秀が室山城の浦上宗景を攻めた時、光明山城主内海勘解由範秀は先陣で活躍した。天正年間(1573-92)羽柴秀吉の播磨侵攻により落城したと伝えられる。

参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
『都道府県別日本の中世城館調査報告書集成15』東洋書林発行
【歴史】
【道案内】
城跡の地図
こうみょうせんじょう