城跡の地図
三日月陣屋
別名 御殿奥、三日月城、乃井野陣屋
所在地 佐用町(三日月町)乃井野
遺構等 石垣、堀
現状 田、宅地
築城年 元禄10年(1697)
築城者 森対馬守長俊
歴代城主
形式 陣屋
訪城日 2004/3/26
【道案内】


【感想・メモ】
みかづきじんや
【歴史】
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石垣
JR「三日月駅」から北北西へ約1.2km。国道179号を東進すると、三日月町役場支所の約1km手前に「三日月陣屋」の案内が道の左手に出ています。ここを左折し、道なりに600m程北上し、突き当たりを右折して200m程東進すると左手が陣屋となります。
石垣と堀のみが残ると思って行って見たら、「中御門」と「通用御門」を復元工事中でした。少し建物が復元されていて、何となく雰囲気が味わえます。この復元された建物の後ろ側へ回ってみると、発掘調査をしていました。石垣だったであろう石が、ゴロンゴロンと転がっていて、ちょっとビックリ。地元の人の話では、以前は全部田畑だったのを、三日月町が土地を買収して建物を復元したり発掘調査をしているとのこと。この辺はあちこちに石垣が残っていて、なかなか楽しいです。かなり広い陣屋だったみたい。今度は復元工事中の門に向かって右手の方へと散策すると、少し高台になっていて、沢山石垣が見られます。この高台の上に行くと、水がたんまり溜まっている所があり、井戸でもあったのかなぁ?更に、この高台の奥の山を覗いてみたところ、削平地があったけど、お城の遺構かは?ちょっと私の目では、どこまでが何なのか良く分からないけど、楽して石垣が沢山見られて良い所でした。復元工事が終わったら、もっと格好良く見えるかも?
本能寺の変(1582)で織田信長とともに死んだ森欄丸の末弟、忠政は津山藩主となった。忠政の孫・森長武が、弟・長俊に1万5千石分地した。元禄10年(1697)、津山森氏の改易時、森長俊は播磨に移され、この地に陣屋を構えた。以後、森氏が9代続き明治を迎えた。