城跡の地図
三草陣屋
別名
所在地 加東市(社町)上三草
遺構等 碑、説明板
現状 やしろ国際学習塾
築城年
築城者
歴代城主
形式 陣屋
訪城日 2008/4/27

尾崎家住宅


【道案内】
【感想・メモ】
みくさじんや
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国道372号「上三草」信号から150m程北東に進んで左折し、100m程進んだ正面が「やしろ国際学習塾」という公共の施設です。ここが陣屋跡で、やしろ国際学習塾に無料駐車場が完備されています。
この地は赤穂藩領であったが浅野家断絶により、元文4年(1739)越後頸城郡高柳領主・丹羽薫氏が大坂定番に任じられ、所領を美作・河内の内で1万石に移された。寛保2年(1742)丹羽薫氏が河内国の所領を播磨国内に移されたため三草藩主として1万石を領し、三草川を自然の堀として陣屋を築いた。丹羽氏の先祖・丹羽氏次、氏重は小牧長久手の戦いで岩崎城主として活躍し、氏重は討死した。その後信雄の家臣から徳川家康の家臣になり、譜代大名として家は存続し、三草陣屋では廃藩置県の明治4年まで6代130年に亘り藩政を行った。
【歴史】
やしろ国際学習塾の前に陣屋の石碑と説明が彫られた石碑があります。この北側の通りに三草藩の武家屋敷が残っていて風情があります。