淡河城 |
別名 | |||
所在地 | 兵庫県神戸市北区淡河町淡河 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、横堀、碑、説明板 | ||
現状 | 神社、畑 | ||
築城年 | 鎌倉時代 | ||
築城者 | 淡河氏 | ||
歴代城主 | 淡河氏、有馬氏 | ||
形式 | 丘城 | ||
訪城日 | 2010/11 | 感想 | ○ |
お城のほとんどは耕地などで壊されてしまいましたが、本丸部分のみ良好に残っています。本丸の西に土塁が、南は高い天守台があり、天守台上には城址碑があります。また、本丸東には櫓が建っています。この天守台の西から南にかけて立派な横堀があります。この南は二の丸で、南東の竹慶寺跡に淡河家廟所があります。 |
本丸南の堀
本丸
参考資料 現地説明板 『日本城郭大系』新人物往来社発行 『ひょうごの城紀行 下』(朽木史郎・橘川真一 編著)神戸新聞総合出版センター発行 『都道府県別日本の中世城館調査報告書集成15』東洋書林発行 |
淡河の里から比高約20mに位置する河岸段丘上端に築かれた城で、鎌倉時代から淡河氏代々が居城した。天正6〜8年(1578-80)羽柴秀吉による三木城攻めの後は、有馬氏一万五千石の居城として慶長6年(1601)有馬則頼が三田城へ移封となるまで栄えた。元和元年(1615)一国一城令により取り壊された。 |
「道の駅淡河」の南西約150m。国道428号と県道38号が交差する「淡河本町」信号(角に「道の駅淡河」有)から県道38号で500m程西進して右手に「淡河郵便局」を過ぎ、更に100m程西進した1つ目の路地を左折します。100m程南下した1つ目の路地を左折し、道なりに200m程上がっていった台地上左手が城跡で、周辺の道路余白に駐車しました。 |
おうごじょう |