白旗城

侍屋敷の石積み

遠景

登山口に距離2.1kmとあり、柵を開けて進みます。3分程で五輪塔や八幡社跡が左手にあり、更に3〜4分で少し広くなった看板がある場所となります。ここから1.6kmでひたすら登ります。更に10分程で登り石垣のようなものが見えますが、猪垣でしょうか?岩岩で歩きにくいし、暗くてじめっとした雰囲気ですが、道はしっかりしています。更に20分強で西端の堀切となる「堀切」表示の所へ出て、この少し先に石積みが見え、その先に櫛橋丸との分岐があります。まずは本丸を目指すと、そこから堀切を過ぎ、二の丸を通ると長い馬場丸で、漸く本丸到着!登り始めてから60分経っていました。本丸は結構広く、整備され、眺望も良くて気持ち良いです。その北の三の丸へ下りて本丸を見上げると、切岸が高くて格好いい!更に北へ下りると土塁があり、その背後に堀切があります。本丸の南東側に郭群があるようですが、道が分からずやめました。二の丸へ戻り、ここから南へ下りると侍屋敷があります。石がゴロゴロし、井戸跡のような窪みもあり、石積みが沢山見られます。達成感と遺構が見られた満足感で一杯となり、帰りは櫛橋丸経由で下山しましたが、途中から膝がガクガクになりました。
登城口の地図
城跡の地図
【道案内】
国道373号で赤松地区に入ると城の案内があり、登山口手前には大きな「白旗城跡」の看板があるのですぐに分かります。ちなみに登山口はもう1ヵ所ありますが、そちらの方が道が長いようです。
【歴史】
白旗城は、元弘3年(1333)、播磨の土豪赤松円心則村が後醍醐天皇の鎌倉幕府打倒の綸旨に応じ築城した。延元元年(1336)、九州で巻き返しを計っていた足利尊氏追討のため、新田義貞が6万の兵を率いて西進する途中、白旗城を攻撃した。足利側の赤松則村は、約800の兵で義貞の攻撃を50日間余食い止め、室町幕府成立のきっかけを作った。そこで、赤松氏は重要な官職を得た。赤松氏は則村の後、則祐、義則、満祐と続いたが、則祐の時、東に城山城を築城し、順次本拠を移していった。そして満祐の時「嘉吉の乱」で赤松宗家は滅亡したが、その後政則の時に復興し、城山城より更に東に置塩城を築城し本拠とした。
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別名 白旗山城
所在地 兵庫県上郡町赤松
遺構等 曲輪、土塁、石垣、堀切、井戸、碑、説明板
現状 山林
築城年 元弘3年(1333)
築城者 赤松円心則村
歴代城主 赤松
形式 山城(比390m)、標440m
登城口から主郭まで約60分
訪城日 2010/11 感想

【感想・メモ】
しらはたじょう