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別名 |
市森城 |
所在地 |
京都府京丹波町市森 |
遺構等 |
曲輪、石垣、土塁、竪堀、堀切 |
現状 |
山林 |
築城年 |
南北朝期 |
築城者 |
須知景光 |
歴代城主 |
須知氏、明智光秀 |
形式 |
山城(比185m、標384m) |
訪城日 |
2011/5 |
感想 |
★ |
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主郭東の高石垣 |
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玉雲寺の東北東約500m。京都丹波道路「丹波インター」から国道9号で1km程南下して左折します。案内に従い玉雲寺まで行き、寺から北東の小道に入って250m程未舗装路を北上した右手(山裾にトタン製の倉庫有)が登城口です。登城口より100m程手前の道路余白に駐車しました。 |
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登城口が分かりにくいですが、トタン製倉庫の右側から道は整備されています。5分程登ると尾根に出て、左へ進むと出城のようですが削平地が1つあるだけでした。城跡は右手で、15分程で西郭に至ります。須知城は、大まかに西郭群と東郭群の2つの郭群からなる東西にとても長い城で、その間は堀切で仕切られています。そして、特に西郭に石垣が多用されています。西端の郭には土塁があり、二郭西側や枡形虎口、東側に石垣があります。二郭の東が主郭で、東側には櫓台があるのですが、藪で見難いです。主郭東には高石垣があり、ここが最大の見所でかなり圧倒されます。ここから東郭へ向かう途中に堀切があり、東郭にも土塁や残存石垣がありますが、石垣の規模は随分小さく、しかも結構藪です。でも、西郭群は随分と見やすく整備されていて、主郭以外は見通しがきいて気持ちよいです。遺構の残存状況もよく、随分と楽しめるお城です。 |
【歴史】 南北朝時代、南朝方についた須知景光が築城したと伝えられる。観応3年(正平3、1352)、丹波守護代荻野朝忠に属した遠山秀家らに攻められ落城した。戦国期には勢力を盛り返した須知氏は、織田信長の丹波侵攻で明智光秀に協力したが、その後織田方から離反したため光秀に攻められ落城した。光秀は須知城を改修して使ったものと思われる。 |
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登城口 |
二郭西の石垣 |
主郭櫓台 |
西郭群と東郭群の間の堀切 |
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