豊田城
城の西側に登城口があり、東進すると東海自然歩道の標柱や図面付の説明板があります。そのまま直進すると大手で、南郭の北側に至り、南郭の西〜南には立派な横堀があります。更に、主郭・副郭を巡る横堀や東郭を隔てる堀はまるで迷路のようで、驚嘆します。
室町時代、豊田氏が築城した。豊田氏は大乗院方衆徒で、永享元年(1429)井戸氏と争い大和永享の乱のきっかけを作った。衆徒の中では筒井・古市氏に次ぐ勢力を誇り、応仁の乱までは越智方であった。明応7年(1498)河内で畠山尚順が勝利し、越智氏が没落した際、越智氏に与していた豊田城は落城した。その後、永禄11年(1568)松永久秀軍に攻められた時も、豊田城は落城した。以後、豊田氏は井戸氏らと共に井戸城に立て籠もったが、元亀元年(1570)松永方に内応して井戸城を脱出し、翌永禄12年の辰市合戦で松永軍に属し戦死した。(『日本城郭大系10』参照)
【歴史】

【感想・メモ】

登城口

南郭南の横堀


【道案内】
登城口の地図
城跡の地図
名阪国道「天理東インター」から県道51号を1km程南下した左手(道路右手に東海自然歩道の標柱有、道路左手の38母屋から北へ約100m)が登城口で、表示があります。
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別名
所在地 奈良県天理市豊田町
遺構等 曲輪、土塁、横堀、竪堀、堀切、説明板
現状 山林
築城年 室町時代
築城者 豊田氏
歴代城主 豊田
形式 山城(比100m)
訪城日 2014/12 感想
とよだじょう