城跡の地図
烏帽子形城
別名
所在地 大阪府河内長野市喜多町
遺構等 曲輪、土塁、横堀、堀切、説明板
現状 烏帽子形公園
築城年 正慶元(元弘2、1332)
築城者 楠木正成
歴代城主 楠木、甲斐、橘
形式 山城((比80m、標182m)
訪城日 2005/1/30
【道案内】


【感想・メモ】
えぼしがたじょう
【歴史】
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大阪狭山市から河内長野市へ国道310号で南下して入った場合、「本町」信号を直進して国道371号に入ります。1km程南下すると「上田町北」信号の所に「烏帽子形公園」の案内があるのでここを右折します。そのまま公園の案内に従っていくと公園の無料駐車場に辿り着きます。この烏帽子形公園が城跡です。
駐車場に園内の案内図があったので、それを見て城跡の場所を確認しました。公園だから大したことないと思って行ったら空堀が結構深くてしっかり残っていてスゴイです。駐車場から「堀の道」へと行くと知らない間に堀底道を歩いていて、西の丸から堀切を越え、本丸へと向かいます。城跡の中に居ると、奥深い山の中といった雰囲気で楽しめます。このコースだと主郭まで約15分。思ったより勾配がきつかったです。
正慶元年(元弘2、1332)、楠木正成が赤坂城の出城として築城し、南北朝にはこの城をめぐって争奪戦が繰り広げられた。室町時代には、河内守護・畠山氏の家督争いで、この城付近がたびたび戦場となった。天文年間(1532-55)、甲斐庄隆成が城主となったが、畠山定国に攻められ落城した。天正年間(1573-92)、橘長治が城主となったが、元亀年間(1570-73)に徳川家康に召し抱えられ河内を離れた。長治の子・橘正治は大坂の陣の戦功により2千石で城主として返り咲いたが、元和3年(1617)廃城となった。ちなみに、橘氏は別名烏帽子形氏といい、この城名の由来となっている。