原田城
別名
所在地 大阪府豊中市曽根西町4−4−15
遺構等 土塁、碑、説明板
現状 宅地
築城年 不明
築城者 不明
歴代城主 不明
形式 丘城
訪城日 2011/2/11 感想
【歴史】
この付近は高台になっており、一番高い位置にマンションが建っています。その横の家屋の入口に「原田城跡」と表示があり、土日の12:00〜16:00(入城は15:30まで)は公開していると書かれていました(入城無料)。そうとは知らず、私は見学不可の時に訪れてしまい、中に入ることができなかったので、周囲の道路から様子を伺ったのですが、切岸がわずかに見える程度です。その家屋の南側道路に城址碑と説明板があります。
【感想・メモ】


築城時期は不明だが、室町末期に書かれた『足利季世記』に、天文10年(1541)11月に管領細川晴元の家臣木沢長政が原田城を攻めたとの記述が見られることから、16世紀初め頃には築かれていたと考えられる。原田城は主城と北城と砦の南城の2城があり、説明板がある場所は北城が築かれていた。当時、東西約160m、南北約320mの規模を有し、南城はここから南東約300mにあったといわれている。天文16年、原田城は細川晴元勢3万騎の攻撃により落城した。また、天正6年(1578)には織田信長による伊丹有岡城に立て籠もる荒木村重討伐の際、原田城は信長軍の付城として信長配下の武士が在番した。

参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
『城巡礼』東京地図出版編集部編/発行
現地説明板
【道案内】
城跡の地図
はらだじょう
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阪急宝塚線「曽根駅」から北西へ約450m、原田小学校から東へ約170m。曽根駅北側から250m程西進して左手に医院を過ぎて最初の路地を右折し、80m北上した1本目路地を左折します。そこから100m程西進した右手が城跡です。周辺は道が狭く、駐車場もないので注意してください。