難波宮
別名
所在地 大阪府大阪市中央区法円坂
遺構等 大極殿跡、楼門跡、回廊跡
現状 難波宮跡公園
築城年 7世紀中後期(前期難波宮)・天平6(734)(後期難波宮)
築城者 孝徳・天武天皇(前期難波宮)、聖武天皇(後期難波宮)
歴代城主
形式 都城
訪城日 2011/2 感想
前期難波宮跡は、全ての建物が掘立柱で屋根に瓦を葺かない建物であった。7世紀中頃、飛鳥で蘇我氏が亡ぼされて後、都が難波に遷されてつくられた難波長柄豊碕宮がこれにあたると考えられる。天武天皇朱鳥元年(686)に、火災で全焼するまで続いたと考えられる。この宮殿は最初の本格的な中国風の都と言われる大和の藤原宮に先行するもので、古代国家の成立期の貴重な遺構である。後期難波宮は奈良時代の神亀3年(726)聖武天皇の時に造営された宮殿である。大極殿や朝堂院の中心建物には礎石が用いられ、屋根には蓮華文・唐草文・重圏文軒瓦などの瓦が葺かれていた。天平16年(744)にはここ難波宮が首都と定められたが、翌年再び平城宮へと遷された。

参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
現地説明板
【歴史】
広い公園になっていて、前期は赤、後期は白で色分けしてあります。公園になっているということで一度来て見たかったのですが、これも城跡に入るの?と疑問に。でも、新人物往来社の『日本城郭大系』に載っていたので、まぁいいかと思うことに。
【感想・メモ】


【道案内】
城跡の地図
なにわのみや
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地下鉄中央線・谷町線「谷町四丁目駅」から南東へ約400m。中央区役所から1.2km程東進すると「難波宮跡公園」があります。

詳しくはこちらをご覧ください。「大阪市文化財協会ホームページ