沢良宜城
別名
所在地 茨木市美沢町13
遺構等 碑、説明板
現状 公園、宅地
築城年
築城者
歴代城主
形式 平城
訪城日 2007/12/23

【道案内】
城跡の地図

【感想・メモ】
さわらぎじょう
【歴史】
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阪急京都線「南茨城駅」・大阪モノレール「南茨木駅」から南東へ約700m。佐和良義神社の社殿から参道を200m程南下すると神社の鳥居があります。この道路を隔てた西側に公園があり、この付近一帯が城跡です。
周囲はマンションが建ち並び、城跡の面影は何もありません。神社の参道前にある公園に城址碑と説明板があります。また、佐和良義神社の拝殿前にある八幡神社はお城の守護神で、南北に細長い参道は乗馬訓練の馬場と言われているようです。
室町幕府三代将軍義満(1368-94)は、少年の義持に将軍職を譲って5年目にあたる応永6年(1399)、堺港に進出してきた周防国の大内義弘を堺に攻めた時、沢良宜城主藤井三位は義持将軍から「御馬廻り免状」を貰い、家老職や郎党を従えて勇躍出陣した。当時の沢良宜勢は約三千坪の城(環濠の砦)を中心に、勝尾寺衆徒の中でも相当な力を持っていた。この城は、応仁の乱(1467-1477)の頃か、もう少し前の1400年代の早い時期になくなったと考えられている。(現地説明板より)