下赤阪城 |
別名 | 楠木館 |
所在地 | 千早赤阪村森屋 |
遺構等 | 碑、説明板 |
現状 | |
築城年 | 元弘元年(1331) |
築城者 | 楠木正成 |
歴代城主 | 楠木 |
形式 | 山城 |
訪城日 | 2007/7/15 |
しもあかさかじょう |
府道705号沿い「千早赤阪村役場」から800m程南下して「千早赤阪中前」バス停付近を右折します。すると右手に「千早赤阪中学校」があります。この中学校の裏手(西側)が城跡で、中学校を通り抜けて行けるようになっています。駐車場が完備されています。 |
中学校の裏手へと回りこむと、丘陵地が広がり、そこに城址碑と説明板があります。ちなみに、役場にも城址碑があります。遺構は何もなし。この付近は棚田で有名ですが、この丘陵地から見ることができます。 |
元弘元年(1331)9月、後醍醐天皇が笠置行在所にて義兵を募ると、楠木正成が馳せ参じ、河内に帰って急きょ築城した。これが下赤坂城である。笠置城落城後、鎌倉勢が勢いにのって1万騎の軍勢を率いて攻め寄せてきたが、楠木勢はわずか500余騎でこれを迎えうった。複壁熱湯の計によって敵を大いに悩ませたが、正成の思慮で、10月21日自ら城に火を放って金剛山にのがれ、翌年4月に再起し、鎌倉方の湯浅定仏を奇襲して再び城を奪回した。湊川で正成が戦死した後、正儀がこの城にたてこもったが、正平15年(1360)当城を捨てて金剛山に退いた。 |