正覚寺城 |
別名 | |||
所在地 | 大阪府大阪市平野区加美正覚寺1丁目17 | ||
遺構等 | 碑 | ||
現状 | 若宮八幡宮旭神社 | ||
築城年 | 戦国時代 | ||
築城者 | 畠山政長 | ||
歴代城主 | 畠山政長 | ||
形式 | 平城 | ||
訪城日 | 2011/2/13 | 感想 | − |
神社の境内に城址碑があるのですが、大きな椋の木を囲む柵の中にあるため写真が撮り辛いです。ここから東へ200〜250mに正覚寺跡や畠山政長の墓があるので、一緒に見学すると良いでしょう。 正覚寺跡 : 平野区加美正覚寺2-8 畠山政長墓:平野区加美正覚寺2-6 |
正覚寺跡
畠山政長墓
しょうかくじじょう |
JR関西本線「平野駅」から東へ約600m。加美小学校・加美中学校の南側道路を中学校から400m程西進して右折します。100m程北上した右手に若宮八幡宮旭神社があり、ここが城跡で神社に駐車できます。 |
畠山氏は室町幕府三管領の一として代々尾張守に任ぜられ、山城・河内・紀伊・越中の守護も兼ねていた。畠山政長は管領畠山持国の甥にあたり、持国の実子義就との家督相続争いは応仁の乱(1467-77)の一因となった。政長・義就の確執は長年に亘り畿内各地で争ったが、文明14年(1482)政長は将軍足利義稙と共に正覚寺に本拠を置いて義就と対陣した。義就病死後は河内平定に乗り出したが、明応2年(1493)義就の子義豊の逆襲に遭い敗北、正覚寺は焼失した(正覚寺合戦)。また、天正5年(1577)、織田信長の石山本願寺攻めの際に本陣を構えた。 参考資料 『城巡礼』東京地図出版編集部編/発行 現地説明板 |