茶臼山砦
別名 大塚城
所在地 大阪府大阪市天王寺区茶臼山町
遺構等 曲輪、碑、説明板
現状 茶臼山古墳(天王寺公園)
築城年 天文15(1546)
築城者 山中又三郎
歴代城主 山中又三郎、徳川家康、真田幸村
形式 平山城
訪城日 2011/2 感想
天王寺公園は有料施設で、砦跡へ行くには市立美術館の西側にある出入口でチケットを購入して(2011年時点で150円)入ることになります。茶臼山古墳は市立美術館の北方で和気橋を渡った先です。古墳の階段手前に石碑や説明板があり、古墳の頂部は平坦地になっています。また、市立美術館の南側に黒田藩蔵屋敷長屋門が残っているので、これも一緒に見ると良いでしょう。その他、茶臼山砦の北100mにある一心寺には大阪夏の陣で戦死した本多忠朝の墓や家康の八男・徳川仙千代の墓が、一心寺の北120mにある安居神社は真田幸村戦死の地と伝えられ、幸村像があります。
【感想・メモ】

黒田藩蔵屋敷長屋門


【歴史】
城跡の地図
JR大阪環状線・関西本線「天王寺駅」・近鉄「大阪安部野橋駅」・地下鉄「天王寺駅」から北西へ約600m。天王寺公園の北東側にある茶臼山古墳が砦跡です。公園の南側に有料駐車場があります。

安居神社

【道案内】
天文15年(1546)、細川晴元の家臣・山中又三郎が大塚城を築城したが、細川氏綱に攻められ、まもなく落城した。その地に、慶長19年(1614)大坂冬の陣の際、徳川家康が本陣を置いた。また、翌年の夏の陣の際には、豊臣方の真田幸村が陣を置いた。慶長20年5月7日正午過ぎ、赤備えの真田幸村隊3500は徳川方の松平忠直率いる越前勢15000と衝突し、大阪夏の陣最大の激戦がこの茶臼山周辺で繰り広げられた(天王寺口の戦い)。真田隊は家康の本陣めがけて一文字に三度の攻撃を仕掛け、家康の首にあとわずかで手が届く所まで攻めるも、数に勝る越前勢の反撃によって壊滅し、激戦で疲弊した真田幸村は茶臼山の北にある安居天神で休息している所を越前兵により討ち取られたという。

現地説明板参照
ちゃうすやまとりで
TOPページへ