山田城 |
右手の道を進み山へ取り付いた
主郭土塁
私は新宮神社の北西から直登しました。神社から20分程で主郭となります。山田城は東西に2つの郭があり、その間と西端に堀切があります。どちらも東西に細長い郭で東側が主郭です。主郭には立派な土塁が取り巻き、折れを伴っているのがカッコいいです。南西隅には井戸跡と思われる凹みがありました。堀切を隔てた二郭にも南〜西に土塁があり、西端の堀切もしっかりしています。城内は遺構の確認がしやすく、パーツがとてもしっかりした作りの城で楽しめます。 |
西端の堀切
国道173号「栗栖」信号を西へと府道602号へ入り、900m程西進して右手に「岐尼小学校」を過ぎ、更に600m程西進して山田川を渡ってすぐを左折します。500m程南下して右折すると新宮神社が見えてきますが、ここに駐車しました。神社東側道路を150m程北へ進んだ茅葺の門(右写真)で右へ進み、その先で山に取り付いて直登し、尾根に出たら左へ進むと城跡です(登城口1)。ただ未確認ですが、新宮神社へ行く途中に山へ向かうと思われる道を見たので、ここから登城道があるかもしれません(登城口2)。 |
別名 | 亀ノ屋城 | ||
所在地 | 大阪府能勢町山田 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、井戸、堀切、竪堀、虎口 | ||
現状 | 山林 | ||
築城年 | 治安2年(1022)頃? | ||
築城者 | 山田忠国 | ||
歴代城主 | 山田氏 | ||
形式 | 山城(比140m、標370m) 新宮神社から主郭まで約20分 |
||
訪城日 | 2011/5 | 感想 | ◎ |
やまだじょう |
『多田社記』に「治安2年より山田御亀屋の城主多田出羽守満政の五男山田刑部大輔源忠国也、同所北の丸には兄忠重在住す」とあることから、山田城はこの頃に築かれたと考えられる。天正年間(1573-92)、山田清左衛門景明の時に落城したといわれるが、三田三之丞景明の居城、文明9年(1477)没落したと『大阪府全志』にはある。 参考資料 『日本城郭大系』新人物往来社発行 |