西宮砲台
【歴史】

江戸末期、国防不安を感じた江戸幕府は、都を警備する要地にあたる大阪湾に砲台を築いた。砲台の位置は勝海舟が計画し、西宮ではこの西宮砲台の他、今津にも築かれた。文久3年(1863)砲台建設に着工し、慶応2年(1866)後半に完成した。内部に井戸・弾薬庫を設け、完成後に空砲を試射したところ失敗し、煙が内部に充満した。更に明治17年(1884)には火災により内部の木造部分を焼失し、実際に使われたことはなかった。昭和50〜51年(1975-6)に大修理し、内部を鉄骨で補強、外壁は築造当時に復原した。

参考資料
『ひょうごの城紀行 下』(朽木史郎・橘川真一 編著)神戸新聞総合出版センター発行
『日本城郭大系』新人物往来社発行
現地説明板
【道案内】
城跡の地図
阪神電鉄本線「西宮駅」から南南西へ約1.5km、「香櫨園」から南南東へ約1.2km。西宮マリーナの西方にある御前浜公園の北東が砲台です。
別名 築洲台場
所在地 兵庫県西宮市西波止町1-17
遺構等 砲台、土塁、碑、説明板
現状 御前浜公園
築城年 慶応2年(1866)
築城者 江戸幕府
歴代城主
形式 台場
訪城日 2011/2 感想

【感想・メモ】
にしのみやほうだい
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公園の北東側道路沿いに石碑があり、その道路向かい側にある階段を上がると砲台が目の前に見えてびっくりします。砲台は土堤で囲った中央部に置かれたようですが、その土塁の一部も残っています。