三田城・三田陣屋
城跡は高台にあり、三田小学校が本丸、有馬高校が二の丸だったようです。この間に立派な堀が残っていて感動しました。小学校の正門前には城址碑があり、道路の反対側には古絵図もあります。高校の東側にも空堀跡がありますが、ここは宅地となっています。また、高校内に南北にあった空堀跡も、今は通路になっていますがすぐに分かり、井戸跡のようなものもありました。小学校から西へ約600mにある金心寺には移築門があります。また、高校と小学校の間の道を200m程東へ行くと九鬼家住宅資料館があり、入場無料で見学でき、古絵図が描かれた下敷きなど資料ももらえます。
【感想・メモ】

【歴史】
移築門の地図
城跡の地図
【道案内】
JR「三田駅」から西へ約1kmにある有馬高校や三田小学校付近一帯が城跡です。
天正年間(1573-90)、伊丹有岡城主・荒木摂津守の部将荒木平太夫が居城した。その後、山崎堅家、有馬則頼、松平重直と城主が替った。寛永10年(1633)、家督相続からお家騒動が勃発し、伊勢湾の制海権を九鬼水軍から取り上げられた九鬼久隆が、鳥羽から移封となった。久隆は有馬則頼が築いた車瀬城の跡に陣屋を築き、以後九鬼氏が13代続いて明治を迎えた。三田小学校付近は九鬼藩主の居館、現校舎地下に御台所跡が保存されており、七曜橋下が大手門筋である。

別名 車瀬城
所在地 兵庫県三田市屋敷町・古城
遺構等 堀、移築門、碑、説明板
現状 三田小学校、有馬高校、金心寺に移築門
築城年 戦国末期、寛永10(1633)
築城者 赤松村秀、九鬼久隆
歴代城主 赤松(有馬)、九鬼
形式 丘城、陣屋
訪城日 2007/3/24 感想
さんだじょう・さんだじんや
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