敏満寺城
別名
所在地 多賀町敏満寺
遺構等 曲輪、土塁、空堀、説明板
現状 多賀サービスエリア
築城年
築城者 久徳氏
歴代城主 久徳
形式 平山城
訪城日 2003/12/30
【道案内】


【感想・メモ】
びんまんじじょう
【歴史】
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名神高速道路で上りの「多賀SA」がある付近一帯が城跡です。高速道路からでなく、下道からでもこの遺構がある小公園に入る事ができます。公園の下に駐車場もありました。
上りの多賀サービスエリアには小公園があり、櫓台や土塁が残っています。また近くにお城の説明板もあります。高速道路で遺構が見られるお城なんて、他にあるかしら?
敏満寺は天台宗寺院だったが、中世には湖東一大寺院となったため、近江を支配していた佐々木六角氏や佐々木京極氏と対立し、寺院が城塞化していった。永禄5年(1562)、小谷城主浅井長政の攻撃を受けた久徳城主・久徳実時に味方したため、敏満寺城は長政に攻められたため坊舎のほとんどが焼失した。元亀2年(1571)、織田信長の命に応じなかったことから、残りの坊舎も焼かれ、寺領も取り上げられた。慶長年間には彦根城築城のため残った礎石までも運び去られた。(現地説明板より)
城跡の地図