城跡の地図
音羽城
城址碑が山頂手前の左手にあり、山頂の公園に説明板もあります。城域は、この西側下のほうから公園の奥までかなり広いです。公園にはアスレチックがあり、「本丸址」という標柱が埋まりながら「址」の字がギリギリ地上に出ていました。そこから更に南へ行くと、二重の土塁が残っています。南帯曲輪の奥には深い空堀があり、空堀の向こう側には東出曲輪があります。縄張図を見ると更にこの奥に空堀があり、その向こう側に南出曲輪もあるようです。今度は公園の手前へ下りてみると、土塁と空堀がしっかり見えます。楽しくて歩き回っていたら、井戸もありました。今でもこの井戸は水が湧いていて、付近は士屋敷だったようです。更に下ると、出曲輪という標柱があり、ここには土塁が巡っていました。この城は見応えがあって楽しいです。
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【感想・メモ】
国道477号「音羽」信号を南に入り県道182号に入ります。県道182号をキープして「近江冨士カントリークラブ」方面へ向かうと道が右カーブする左手に「音羽山鎌掛・・・」という案内が目に飛び込んできます。ここに、字が薄くなっていますが、城跡の説明や縄張が載った看板もあります。ここから車で上がれます。公園手前(下)に無料駐車場があり、上に数台分の駐車スペースあります。
応仁・文明年間(1467-87)、蒲生貞秀が築城し、観音寺城主六角氏重臣である蒲生氏が代々居城した。大永2年(1522)、蒲生秀紀と高郷との間で相続争いが勃発し、六角定頼が高郷に加勢したため、秀紀が定頼に降伏し和議が成立した。その際、音羽城は廃城となった。その後、蒲生氏の居城は日野中野城へ移った。
【歴史】

出曲輪南方の空堀

別名
所在地 日野町音羽
遺構等 曲輪、土塁、空堀、門跡、虎口、碑、説明板
現状 史跡公園
築城年 応仁・文明年間(1467-87)
築城者 蒲生貞秀
歴代城主 蒲生
形式 山城
訪城日 2008/7/19
【道案内】

おとわじょう