佐和山城 |
別名 | 佐保城 |
所在地 | 彦根市鳥居本町 |
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀、石垣、井戸、堀切、竪堀、碑、説明板 |
現状 | 山林 |
築城年 | 建久年間(1190-99) |
築城者 | 佐保時綱 |
歴代城主 | 佐保、丹羽長秀、石田三成 |
形式 | 山城 |
訪城日 | 2003/11/30 |
さわやまじょう |
龍潭寺から20分ほど登ると主郭に着きます。主郭には城址碑があり、眺望もよく、紅葉も綺麗で気分がいいです。主郭から南へ下っていくと石垣が見られ、更に行くと千貫井戸もあります。山麓東側で国道8号から北へ行くと、大手口の標柱があり、大手門跡付近となりますが、田んぼや荒地でよく分かりませんでした。 |
建久年間(1190-99)豪族・佐保氏が築城した。戦国時代には浅井氏の支城となり、城主磯野員昌は織田信長軍と激戦を繰り広げ、元亀2年(1571)磯野氏は降伏し、替わって織田家臣・丹羽長秀が入城し犬上郡支配の拠点とした。天正10年(1582)本能寺の変後、明智討伐に功があった堀秀政に与えられたが、堀氏転封に伴い堀尾吉晴が入城した。天正18年(1590)、豊臣五奉行の一人・石田三成が入城し、城を大改修した。慶長5年(1600)関ヶ原合戦で石田三成が敗れると、小早川秀秋軍が佐和山城を猛攻撃し、城内の石田軍は壊滅した。石田氏滅亡後、徳川四天王の井伊直政がこの地に封ぜられ入城した。直政は新たに彦根城築城を計画したが、着手できないまま慶長7年に死去したため、嫡子・直継が佐和山城等の築材を利用し彦根城を築城した。慶長11年、直継は彦根城に移ったため佐和山城は破却され廃城となった。 |
「彦根駅」から北東へ約1.2km。「龍潭寺」背後の山が城で、龍潭寺から登山道があり、お寺に参拝者用無料駐車場が完備されています。 |