打下城

中主郭

北主郭北東の石積み

【道案内】
城跡の地図
登城口の地図
JR湖西線「近江高島駅」から南西へ約1.2km。JR「近江高島駅」北側の通りを250m程西進して右折します。400m程北上して「高島小学校」手前の路地へ左折します。150m程西進して左折し、右手に「圓光寺」、「大善寺」を過ぎ、更に南下した突き当たりに日吉神社があります。この神社に向かって左手(南)に登城口があります。神社に駐車スペースがあります。

【感想・メモ】
登城道の要所に案内がある。右手に砂防ダムがある所で獣避けフェンスを開けて更に登る。30分弱で尾根に出て打下城まであと0.2kmの案内があり、ここを左手へ行くと左手が土塁に見え、この付近から城域のような雰囲気。中主郭の西側から城跡に入り、左手に竪掘が見えてくる。すぐ前の郭が中主郭で、登城口から中主郭まで約35分。中主郭には説明板があり、土塁が巡っている。郭を北へ出た左手(西)に石垣が少し見られる。ここから北へ進むと段郭が続き、右下に畝状竪掘が見えてくる。北主郭は虎口、土塁がしっかりし、東側には石垣や畝状竪掘もあり見応えがありる。中主郭の東にも郭があり、そこから南へ進むと土塁が竪に落ちているのを見て、真っ直ぐ南郭へ直登。南郭にも土塁が巡り、ここから北西へ進むと中主郭の南へと戻れる。ぐるりと一周しながら随分楽しめるお城だ。
別名 大溝古城
所在地 高島市(高島町)勝野
遺構等 曲輪、石垣、土塁、畝状竪掘、空堀、説明板
現状 山林
築城年 永正2(1505)
築城者 高島玄蕃允
歴代城主 高島、林
形式 山城(比250m)
神社から主郭まで約35分
訪城日 2008/4/5

北主郭南虎口

うちおろしじょう
縄張図(現地説明板より)
東西270m×南北300m以上の城域を有する大規模な中世山城で、湖北や湖東地方も展望でき、直下を通る北国街道(西近江路)を見渡せる交通の要衝にある。城の遺構は大別して南北2ブロックに分かれ、南ブロックの中主郭は標高379mのピークに設けられ、30m×25m2段築上の曲輪で主郭と考えられる。北ブロックは主郭より北方へ伸びる尾根上に数ヶ所の小曲輪を連結し、それより先端の土橋を渡って虎口に達する大型の曲輪(54m×32m)と東側周辺の畝堀及び2ヶ所の小曲輪群から成る。創建は永禄年間以前に国人領主の林氏又は高島氏が関与したとされるが、元亀年間(1570-72)江北の浅井氏か越前の朝倉氏により改修された。その後、織田信長の陣所となったこともある。
【歴史】
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