岩尾城
学校入口に小学生が書いた可愛らしい案内図があり、そのまま学校を通って校舎裏手へ行き、右手の駐車場も通り抜けると左手に階段がある。階段を上り、真っ直ぐ進んで林の中の遊び場のような所を進む。岩尾城の説明板がありそのまま進むと山に入れる。ここが登城口で、この山に入る手前まで舗装された道があったので、ここまで車で来られるかも?登城道は整備されて歩きやすく、山に入った付近は屋敷跡だ。10分弱登ると右手に竪堀が2本見えた。そこからすぐに展望が開けた場所に出て、更に2〜3分登るとかなり立派な竪堀があった。そこから12分程で南曲輪に到着。すぐ先に下知殿丸曲輪がある。更に2分で「堀切と井戸」の看板があり、そこが堀切だ。井戸は堀切を越えた先にある。ここから先は石垣がゴロゴロ見え出したが、藪でかなり隠れているのが残念。所々、景色が良い所などにベンチがあり、休憩できるようになっている。更に10分弱進んで西の丸へ。ここからの石垣がまた立派だが、藪もここから更にひどくなっていた。しかも、ススキが背丈より高く、道が分からない位だ。何とか掻き分けて行くと天守台石垣が見えた。ここから眺める石垣は壮観だ。藪がなかったらもっと感動するに違いない。本丸は石垣で囲まれ随分と楽しめ、背後には土塁があり、そこにもベンチがあった。説明板もあり、縄張図も載っている。暫く天守台石垣周辺を堪能した。ちなみに、「親縁寺」が下屋敷だったようだ。
【歴史】
岩尾城は、和田日向守齋頼が永正13年(1516)に築城したと伝えられています。その子・作右衛門師季が跡を継ぎましたが、明智光秀の丹波攻略によって天正7年(1579)に落城しました。その後、天正14年になって近江から佐野下総守栄有が入部して城郭を改修しました。しかし、豊臣秀吉の命によって廃城となり、慶長元年(1596)に破却されました。(現地説明板より)
【感想・メモ】

【道案内】
登城口の地図
城跡の地図

和田小学校の北側の山が城跡で、車は小学校向かい側にある公民館に停めさせて頂きました。
縄張図(現地説明板より)
別名 和田城
所在地 兵庫県丹波市山南町和田
遺構等 曲輪、竪堀、石垣、堀切、井戸、天守台、碑、説明板
現状 山林(和田小学校裏山)
築城年 永正13(1516)
築城者 和田斉頼
歴代城主 和田、佐野
形式 山城(比230m、標358m)
登城口から主郭まで約35分
訪城日 2006/10/9 感想
いわおじょう
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