黒井城 |
黒井城は、南北朝時代の建武2年(1335)、春日部荘を領した赤松筑前守貞範(則村の次男)が、はじめて山頂に城を築いたことから始まる。その後、約200年間数代の城主をへて、戦国動乱さ中の天文23年(1554)、荻野(赤井)悪右衛門直正が城主となり、せの勢威の拡大とともに、全面的に大改修の手を加えたのが現在の黒井城跡です。山頂の本城部分には、荒々しい野面積みの石垣を積み上げ、これを囲んで中腹には三段曲輪・太鼓の段・石踏の段・西の丸・東出丸などの曲輪を配して防禦を固めている。更に枢要な尾筋には千丈寺・龍が鼻・的場・百間馬場などの砦跡があり、また山中の至る所に曲輪跡、土塁、堀切などの防御施設が埋もれていて、周囲約10kmにおよぶ猪ノ口山系全体が巨大な城塞となっている。天正7年(1579)8月、さしも堅固を誇った黒井城も、丹波平定を急ぐ明智光秀の大軍の前に落城した。(現地説明板より) |
JR福知山線「黒井駅」から北へ約1kmが登城口。黒井小学校と興禅寺の間の坂道を150m程上がると右手に駐車場があり、駐車場の先から登ります。 |
東曲輪
駐車場に城址碑と縄張図付きの説明板があり、ここから階段を上がると本丸まで800mの表示がある。登山道は岩肌が露出している所が多くて歩きにくい。濡れていたら滑りやすくて怖いだろう。約30分で主郭に到着する。100m毎に看板があったが、本丸まで400mを過ぎた辺りから歩きやすかった。7分程登ると「三段曲輪跡」に出る。確かに曲輪が三段あり、展望が開けている。そこから13分程で「石踏の段」へ。ここからも眺めが良い。そこから8分登ると東曲輪で立派な石垣がある。そこから石段を登って上の曲輪へ行くと三の丸。ここにも石垣がある。更に二の丸、本丸と続くが、このお城は、どの曲輪からも眺望が良くてスカッとする。特に本丸からは360度のパノラマで本当に気持ちいい。「保月城址」の石碑もある。とにかく気持ちよくて、開放的な気分になれる素晴らしいお城だ。石垣もあちこちにあって、かなり楽しめる。すっかり大満足して下山した。黒井城の下に「興禅寺」というお寺があるが、ここは下屋敷で、春日局の出生地でもある。水堀が残っていて落ち着いた雰囲気でいい。 |
二の丸から本丸を望む
別名 | 保月城 | ||
所在地 | 兵庫県丹波市春日町黒井 | ||
遺構等 | 曲輪、石垣、土塁、空堀、堀切、碑、説明板 | ||
現状 | 黒井小学校裏山 | ||
築城年 | 建武年間(1334-38) | ||
築城者 | 赤松貞範 | ||
歴代城主 | 赤松、荻野、明智、堀尾 | ||
形式 | 山城(比220m) 登城口から本丸まで約30分 |
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訪城日 | 2006/10/9 | 感想 |
くろいじょう |