堀内新宮城

全龍寺
別名 堀内屋敷
所在地 和歌山県新宮市千穂1丁目9
遺構等 水堀、碑、説明板
現状 全龍寺
築城年 天正初期(1573)頃
築城者 堀内安房守氏善
歴代城主 堀内
形式 平城
訪城日 2011/12 感想
【道案内】
城跡の地図

【感想・メモ】
ほりうちしんぐうじょう
【歴史】
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JR「新宮駅」から西北西へ約800m。国道42号で熊野川を南へ渡り700m程南下した4つ目の信号「裁判所前」を右折します。50m程西進した1本目路地を右折し、100m程北上したと左手にある全龍寺が城跡です。

堀跡
静かなお寺だったので、のんびりできました。この寺の裏手に流れる小川は堀跡で、お寺の前に碑と説明板があります。ここから約150m北に新宮屋敷があります。
天正初期(1573)頃、堀内安房守氏善が築城した。堀内氏は代々熊野新宮別当を務めここに居城し、氏善の時にほぼ牟婁郡全域を支配した。氏善は、天正13年(1585)豊臣秀吉の紀州征伐の際、秀吉方につき本領を安堵され、天正19年には秀吉から「熊野惣地」に任命された。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで西軍につき伊勢方面へ出兵したが、西軍の敗北により新宮へ戻った。しかし、和歌山城主・桑山一晴に新宮城を攻められ落城した。氏善は新宮から大里の京(みやこ)城 へ一旦落ちのびたが、その後許され肥後熊本の加藤清正に預けられた。