鳥屋城

主郭西の曲輪にある石垣
別名 外屋城
所在地 和歌山県有田川町(金屋町)中井原
遺構等 曲輪、井戸、石垣、土塁、堀切、説明板
現状 山林
築城年 南北朝期
築城者 湯浅宗基
歴代城主 湯浅、山名、畠山
形式 山城(比210m)
登城口から主郭まで約30分
訪城日 2008/2/29 感想


登城口の地図
【道案内】
城跡の地図
町役場金屋庁舎から東方約500mにある「金屋中学校」の東側が登城口で、「鳥屋城山遊歩道」の案内があります。中学校校門前付近に駐車スペースがあります。
とやじょう
【歴史】
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遊歩道の案内から階段を上ると社があり、その右手にお城の説明板があります。遊歩道は歩きやすく、8分程歩くと鉄塔で、そこから1分程歩いた正面に見える山が城跡です。登城口から30分も歩けば主郭ですが、真っ直ぐ進むと主郭の東側となり、祠があってその背後に土塁があり、祠がある付近の下側へ回り込むと石垣があります。この先は岩場だったので引き返したのですが、まだ先には東の曲輪があり、こちらにも石垣や堀切があるようです。主郭は登ってきて平場に出た時に左手へ入った山頂となり、東西に細長いです。ここから西側下にも曲輪があり、土塁や石垣があります。この付近はちょっと藪になっています。
【感想・メモ】
築城年代・築城主は明らかではないが、「花営三代記」には既に南北朝時代に存在していた事が記されており、湯浅宗基が築城したと言われている。応永7年(1399)、紀伊国守護として畠山基国が入り広城を築いたが、その弟・満国がこの城に入り城名を外山城と改めた。以後、岩室城と共に広城の支城となり、畠山一族や守護代神保氏らが城主を務めた。天正13年(1585)畠山貞政の居城の時、秀吉の攻略によって廃城となった。