要害山城
城跡の地図
【道案内】
登城口の地図
国道42号「一目坂トンネル」を北へ抜け、高瀬川を渡ってすぐを右折します。400m程進んで右折し、再度高瀬川を渡ります。少し東進すると正面に「草堂寺」があり、この寺の駐車場を利用させて頂きました。お寺の山門に向かって右手へ進み、富田坂の案内に従い左手へ行きます。お寺の南側を通って石垣や竹林を見ながら4分程歩くと林道に出ます。ここを左手へ進み、右手にお城の説明板を過ぎて更に1〜2分歩くと再度林道と交差します。ここを左へ進み3分程歩くと右手にお城の案内板があります。ここが登城口です。
安宅本城を本拠とし、紀伊水道を抑える熊野水軍の安宅氏が、明応3年(1494)家臣の吉田春秀に旧生馬村(上富田町)を与え、城を築かせた。これが高瀬の要害山城で、馬谷(うまんたに)城とも言われている。安宅氏は隣接する山本氏と絶えず富田付近で争いを繰り広げており、龍松山城を本拠とする山本主膳守は明応3年、この要害山城に出兵し、馬谷城合戦を展開した。

三郭東の堀切
別名 馬谷城
所在地 和歌山県白浜町富田
遺構等 曲輪、土塁、堀切、竪堀、畝状竪堀
現状 山林
築城年 明応3(1494)
築城者 吉田春秀
歴代城主 吉田氏
形式 山城(比50m)
草堂寺から主郭まで約18分
訪城日 2011/12 感想
登城道は整備され、登城口から5分程登ると左手に立派な堀切が見えます。このすぐ西側が三郭で、その一段高い西側が主郭です。主郭からの眺望は良く、西端にベンチがあります。その西側へ下りると二郭で主郭と同様にうっすらと土塁が巡っています。最初に見た三郭東の堀切から東へ進むと四重の竪堀があります。また、三郭東の堀切から西へ進むとシダ藪が酷いですが畝状竪堀があり、奥の方には少し下段から竪堀が始まっている所もあります。

東方の四重竪堀

主郭

主郭北下の畝状竪堀


【感想・メモ】
ようがいやまじょう
【歴史】
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