三崎城
別名 三浦城、宝蔵寺城、北条山城
所在地 神奈川県三浦市城山町
遺構等 土塁、碑、説明板
現状 三崎小中学校、三浦市役所、三浦市体育館、本瑞寺、光念寺
築城年
築城者 三浦氏
歴代城主 三浦、北条
形式 平山城(海城)
訪城日 2008/5 感想
【感想・メモ】
三崎中学校と三崎市体育館の間の通り(学校側)に城址碑と説明板があります。土塁があちこちに点在し、本瑞寺と光念寺の間や、三浦市慰霊堂への入口付近にもあります。慰霊堂の手前には土橋や堀切跡があり、慰霊堂からは目の前に北条湾が見下ろせます。本瑞寺は櫻之御所だった所で、建久年間(1190年代)、時の将軍源頼朝が三浦市に3つの御所(櫻、桃、椿)を設けたうちの1つです。

城跡の地図
【道案内】
三浦市役所周辺一帯が城跡です。

みさきじょう
【歴史】
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築城年は不明だが、戦国時代に三浦氏が新井城の支城として築城したと思われる。永正15年(1518)7月11日、北条早雲に敗れた三浦義同が新井城で滅んだ際、三崎城も落城した。その際、囲みを破った城兵は城ヶ島に逃れて抵抗を続けた。その頃、三浦氏は相模一円に領域を拡げていったが、三崎城は三浦一族累代の居城である新井城の背後を守る重要な支城であると共に、水軍の本拠地でもあったと言われる。落城後、北条氏はこの城に5代に亘り兵を置いたが、天正18年(1590)豊臣秀吉に攻められ、小田原北条氏滅亡に伴い、三崎城は廃城となった。(現地説明板より)