金窪南城
別名 金窪南館
所在地 埼玉県上里町金久保701
遺構等 土塁、横堀
現状 陽雲寺
築城年 明応元年(1492)
築城者 大畠長門守昌広
歴代城主 大畠氏、斎藤氏、武田氏
形式 平城
訪城日 2010/12 感想

【道案内】
城跡の地図

【感想・メモ】
かなくぼみなみじょう
JR高崎線「神保原駅」から北西へ約1.7km。神保原駅の約600m北にある国道17号「神保原」信号から1.6km程西進した「金久保」信号を右折します。120m先の2本目路地を左折し、70m先のすぐの路地を左折すると正面に陽雲寺があります。ここが城跡でお寺に参拝者用駐車場があります。

武田信玄夫人の墓

【歴史】
金窪城の南西約600mにある陽雲寺が城跡で、お寺の北〜北東にかけて土塁と横堀が残っています。特に東側は折れを伴っています。また、お寺の参道脇には新田義貞家臣で金窪城を居城とした畑時能の供養祠が、墓地の奥には武田信玄夫人のお墓があります。
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明応元年(1492)大畠長門守昌広が築城したと伝えられ、陽雲寺は享禄元年(1528)斎藤左衛門尉盛光と定盛が創建した。天正10年(1582)神流川合戦の兵火で焼失した。天正19年、金窪領主となった武田信俊は養母である武田信玄夫人を伴って入封した。元禄11年(1698)に廃城となったと伝えられる。

参考資料
『中世北武蔵の城』梅沢太久夫著
『埼玉の古城址』中田正光著
『埼玉の中世城館跡』埼玉県教育委員会発行
現地説明板参照