金鑚御嶽城
別名 高見城
所在地 埼玉県神川町(神泉村)渡瀬1410
遺構等 曲輪、堀切、碑
現状 御嶽山
築城年 文明12年(1480)?
築城者 安保吉兼?
歴代城主 安保氏、長井氏、北条氏
形式 山城(比160m)
金鑚神社から主郭まで約18分
訪城日 2008/10 感想
神社に入ると重要文化財の多宝塔がすぐ目に入ってきます。これは御嶽城と関連があるいわれ、天文3年(1534)に安保全隆が寄進したものです。神社の背後からハイキングコースがあり、5分程登ると鏡岩があり、更に3分程で東屋や石仏群がある所に出ます。この奥が岩山展望所で眺望がとても良く、御嶽城が正面に見えます。ここから西へと登っていくと堀切を2つ隔てて10分弱で主郭に着きます。主郭にはお城の標柱があるものの、ものすごい藪。ここから北・南・西の各尾根に城跡の遺構があるらしいのですが、どこにも行けませんでした。帰りは、石仏群手前を登ってきた鏡岩方面(北)ではなく、反対側の法楽寺跡経由で下山しました。
【感想・メモ】

岩山展望所

【道案内】
城跡の地図
群馬県との県境から国道462号で1.2km程東進し、左手に「大光普照寺」がある所で右折します。400m程南下した金鑚神社が登城口で神社に駐車可能です。

主郭の標柱


かなさなみたけじょう
【歴史】
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文明12年(1480)、安保吉兼が築城したといわれるが確証は無い。元亀元年(1570)頃は武田氏家臣・長井豊後守政実が城主だった。金鑚御嶽城は上武国境の境目の城として16世紀後半には激しい争奪戦が繰り広げられ、天文21年(1552)1〜3月の御岳合戦では、安保泰広が守る御嶽城を北条氏康が攻略した。以後、後北条氏が支配したが、永禄12年(1569)6月には武田信玄が御嶽城を乗っ取り、普請を行い、兵器兵糧を移し、数千人の兵を在城させている。ところが、同年9月にも再び信玄が御嶽城を攻めていることから、一時的に信玄の手に落ちたものの、鉢形城を守る国境の城として北条氏に属していたものと思われる。(『中世北武蔵の城』梅沢太久夫著、『埼玉の古城址』中田正光著、『日本城郭大系』新人物往来社発行 参照)