小倉城
別名 玉川城
所在地 埼玉県ときがわ町(玉川村)田黒字小倉
遺構等 曲輪、土塁、竪堀、堀切、石垣、碑、説明板
現状 山林
築城年 元亀・天正年間(1570-92)
築城者 遠山右衛門大夫藤原光景
歴代城主 遠山
形式 山城(比71m)
訪城日 2010/1 感想
登城口から3分程北へ歩くと分岐があり、右手へ進みます。ここから2分弱で四郭です。小倉城は土塁、堀切、竪堀も見応えあるのですが、虎口がとても明瞭でカッコいいです。更に主郭虎口と三郭周囲には石垣があります。すごく平ぺったく、角ばった石で特徴的です。城跡内に岩盤が露出しているので、そ岩を切出して、石垣にしていたのでしょう。2003年に訪れた時は発掘調査中でしたが、今回は発掘調査した際の図入り解説が、虎口、石垣、大堀切など見所にあって分かりやすかったです。
【感想・メモ】
田黒地区の大福寺の裏手から登ることもできるようですが、林道を通ると楽です。大福寺から300m程南下して右折し、600m程林道(小倉線)を上がった右手に登城口があります。登城口に約3台分の駐車スペースがあります。
【歴史】
三郭石垣
【道案内】
登城口の地図
城跡の地図

主郭南虎口

おぐらじょう
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元亀・天正年間(1570-92)、遠山右衛門大夫藤原光景が築城したといわれる。大永4年(1524)、高輪原合戦で扇谷上杉朝興の江戸城を、太田資高と通じて北条氏綱が奪ってから江戸城代を務めた。その子・綱景は永禄7年(1564)第二次国府台合戦で戦死し、綱景の子・康景も討死したため、次男・政景が江戸城代を継ぎ、小倉城はその子・光景が居城した。天正18年(1590)小田原の役で落城し廃城となった。