菖蒲城
別名
所在地 埼玉県久喜市(菖蒲町)新堀
遺構等 移築陣屋門、碑
現状 あやめ園
築城年 康正2年(1456)
築城者 金田式部則綱
歴代城主 金田氏
形式 平城
訪城日 2009/7 感想
【道案内】
城跡の地図


【感想・メモ】
しょうぶじょう
菖蒲町役場から600m程西北に進んで「菖蒲町庁舎入口」信号を左折して、県道12号に入ります。そこから300m程南下した右手にあやめ園があり、ここが城跡です。城跡前に駐車可能です。
【歴史】
県道沿いに内藤氏時代の陣屋門が移築されてます。あとは、あやめ園の中に城址碑があるのみです。
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享徳3年(1454)鎌倉公方足利成氏は、関東管領上杉憲忠を殺害し室町幕府と対立した。康正元年(1455)6月、今川範忠ら幕府軍の攻撃を受け鎌倉から追われた足利成氏は、武蔵府中から菖蒲に出て兵士を集め、下総国古河へ逃れ、古河公方と称するようになった。以後、古河公方と関東管領上杉氏の対立により関東は大動乱となった。康生2年(1456)、成氏は金田式部則綱に命じて菖蒲城を築かせ、騎西城と共に上杉氏に対する最前線とした。また、市川城、野田城、関宿城を古河城からの連絡の城として置き、上杉氏に対する防衛線を確立した。(『中世北武蔵の城』梅沢太久夫著、『埼玉の古城址』中田正光著、『日本城郭大系』新人物往来社発行 参照)