蕨城
別名
所在地 埼玉県蕨市中央4丁目
遺構等 水堀、碑、説明板
現状 和楽備神社、蕨城址公園
築城年 南北朝期
築城者 渋川義行
歴代城主 渋川
形式 平城
訪城日 2007/5/11 感想
【道案内】
城跡の地図


【感想・メモ】
わらびじょう
JR「蕨駅」から西へ約800m。蕨市役所から県道111号で200m程東進した3本目の路地を右折すると「和楽備神社」があり、そのすぐ南には「蕨城址公園」が隣接しています。ここが城跡です。神社東側に参拝者用駐車場がありました。
【歴史】
神社内に水堀の跡が残っています。堀跡というより庭園っぽい雰囲気ですが、堀の西側に「御殿堀」と書かれた石碑がありました。すぐ南の蕨城址公園には大きな城址碑とすぐ横に説明板があり、公園東側入口にも説明板がありました。
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南北朝時代、将軍足利氏の一族で武蔵国司・渋川義行が築城した。室町時代の末、戦乱が続く関東平定のため、長禄元年(1457)、将軍義政は近親で九州探題という重い家柄の渋川義鏡を関東探題として下向させた。義鏡は、義行の蕨城に拠り、関東諸将の令を伝え、鎌倉に赴き管領を授けた。その後、義鏡の子・義堯とその子・義基が居城した。大永4年(1524)に北条氏綱に攻められ破壊されたといわれる。江戸時代になると、徳川家康が宿駅制度の拡充と参勤交代制を施行するまで、城跡に御殿を置いた。