土気城
【歴史】
【感想・メモ】
道祖神がある付近は三の丸です。そこから道なりに北東へ進むと、研修センターの手前に空堀があるのが分かります。この東側が二の丸で二の丸の北が本丸なのですが、残念ながら研修センターの敷地等で入れませんでした。
縄張図(現地説明板より)
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別名
所在地 千葉県千葉市緑区土気町829
遺構等 曲輪、土塁、空堀、説明板
現状 日本航空研修センター、畑
築城年 神亀3(726)
築城者 大野東人
歴代城主 大野、土気、畠山、酒井
形式 平山城
訪城日 2005/7/29 感想
城跡の地図
【道案内】

とけじょう
県道20号「昭和の森入口」信号から300m程北上して右折します。200m程北上した1本目の路地を右折し、400m程進むと道祖神が左手にある所にお城の説明板があります。それを過ぎ、更に北東へ行くと、左手に日航研修センターがあり、この周辺が城跡です。
祠と説明板
神亀3年(726)、陸奥国に多賀城を築き鎮守府を置いた際、鎮守府将軍大野東人が東北蝦夷に対する軍事拠点としてこの地に築城した。鎌倉時代に入り千葉氏の一族・相馬胤綱の次子土気太郎が土気荘の地頭に任ぜられ居住した。戦国時代、畠山重康が居城するが、下総中野城にいた酒井定隆の勢力に押され撤退した。定隆は千葉孝胤・小弓城主原胤房に味方し、千葉氏重臣・原氏の勢力を背景にこの地を支配した。長享2年(1488)定隆は城を改修し、以後、長子・定治、玄治、胤治、康治と5代百余年間続いたが、天正18年(1590)秀吉の小田原征伐で北条氏が滅んだのと共に、秀吉の家臣浅野長政に攻略され落城した。