昭和61年9月撮影
現地説明板より
和良比堀込城 |
住宅地の奥に、右図の左下、白枠で囲まれた部分のみが残り、公園整備されています。他は宅地開発等で破壊されているため、公園部分を全体像が掴みづらいですが、立派な土塁を見ることができます。 |
別名 | 和良比城、蕨城 | ||
所在地 | 千葉県四街道市美しが丘1丁目21 | ||
遺構等 | 土塁、説明板 | ||
現状 | 公園、宅地 | ||
築城年 | |||
築城者 | |||
歴代城主 | 原氏、里見氏 | ||
形式 | 平山城 | ||
訪城日 | 2009/2/11 | 感想 | △ |
わらびほりごめじょう |
JR総武本線「四街道駅」から南へ約500m。四街道駅から真っ直ぐ500m程南下した信号を越えてすぐ右手の丘陵上が城跡ですが、城跡西側からしか入れないため、信号を右折し、150m程西進して左折、20m先を左折して、住宅地の中をクランク状に折れながら東進した先端が城跡です。短時間なら城跡入口付近に駐車可能です。 |
堀込城は標高約26mの台地突端部に位置し、前面は二つに分かれた谷になっている。現在の四街道市は鎌倉時代には千葉常胤の所領千葉荘または千葉北荘の一部であったと考えられ、室町時代には千葉氏一門の原氏の臼井荘の支配下に属していた。永禄9・10年(1566・67)頃は里見氏の支配下にあり、里見氏が東葛飾や印旛地域を侵攻するため関宿方面へ進出する際、堀込城は中継基地的な役割を担っていたと考えられる。昭和60年11月〜昭和61年9月に行われた発掘調査の結果、15〜16世紀の焼き物や磁器等が出土し、14〜15世紀の板碑や五輪塔、宝篋印塔の石造物も多く出土した。(現地説明板、『図説房総の城郭』千葉城郭研究会編 参照) |